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海坂藩とは

  海坂藩とは藤沢周平作品の舞台として度々登場する架空の藩名だ。江戸から北へ百二十里(480km)、東南西の三方を山に囲まれ、北は海に臨む地にある酒井家庄内藩、現在の山形県鶴岡市を基にしていると言われている。
  海坂藩の地図を山形県米沢市出身の井上ひさしが「蝉しぐれ」に基づいて「海坂藩・城下図」を作成したのは有名である。井上ひさしも藤沢文学に陶酔したひとりだ。

 庄内は、城下町として栄え、家老の邸宅や藩の重職の屋敷を中心にその周囲を住居が立ち並んでいた。町全体を覆うように寺社が配置され、城と外部の関所の役目を果たした「木戸」を示す石碑や、敵の来襲に備えて細工された小路を界隈に見ることができる。こうした風景の道しるべとして、市内十八ヵ所に作品中の一文を抜粋した案内標柱(案内板)が設置してある。案内板は、城下町の風情に合わせた落ち着いた色調の高札をかたどっていて、趣のあるデザインとなっている。   
また、鶴岡城跡は「日本の桜百選」にも選ばれ、桜の名所としても有名。鶴岡公園の東側には、内川の穏やかな流れがあり、作中の文四郎とその初恋の人「ふく」が初めて言葉を交わすのもこの内川(作品では五間川)の浅瀬である。
  この地方の気候は、東北だけあって冬は厳しく、逆に夏は暑く蝉の鳴き声が響きわたる。春は花の息吹が咲き乱れ、秋は風の強い日も多いが紅葉も美しく、それぞれの四季折々の表情が豊かだ。庄内藩の奥座敷といわれ、藩主酒井家の湯治場であった湯田川温泉は藤沢周平ゆかりの地でもある。藤沢周平は、この地の学校で教鞭をとったことがあり、郷土料理の孟宗竹を使った孟宗汁を「毎年5月になると思い出す季節の味」と語っている。
  「海坂藩」という藩名の由来は、静岡の俳誌から付けたと藤沢周平はエッセイ「『海坂』の節のことなど」で書いており、「私が俳誌『海坂』に投句した時期は昭和二十八年、二十九年の二年ほどにすぎないが、馬酔木同人でもある百合羽公、相生瓜人先生を擁する『海坂』は過去にただ一度だけ真剣に句作した場所であり、その結社の親密なる空気とともに忘れ得ない俳誌となった。『海坂』借用の裏には言葉の美しさを借りただけではなく、そういう心情的な懐かしさも介在している」と綴る。
  
「海坂藩」という架空の藩から、庄内の人と風土を思い描くことができるのは、藤沢周平の幼い頃から焼き付いた庄内の風景・故郷に対する思いが込められているからだろう。藤沢周平が描いた世界は、まさしくこの庄内を彷彿とさせる情景であり、これからもこの町を訪れる多くの人々に広く語り伝えられていくだろう。
  こうした理由から『蝉しぐれ』、『暗殺剣虎ノ眼』(『隠し剣狐影抄』に収録)、『暗殺の年輪』など数多くの作品に”海坂藩”が登場して物語をさらに叙情的にしているのは言うまでもない。

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