----------------藤沢周平氏の承諾待ち、資金集め・・・14年越しの情熱
藤沢周平の傑作「蝉しぐれ」の映画化が決まった。十四年越しの願いがかない、この秋、いよいよ撮影に入った黒土三男監督に、映画にかける思いを聞いた。 田中 誠
「蝉しぐれ」(文春文庫)は、海坂藩の下級武士、牧文四郎と幼なじみのふくとの淡い恋を、権力争いに巻き込まれた養父の切腹などの出来事を交えながら描いた長編時代小説。 黒土がこの作品に出合ったのは一九九〇年。「寝るのを忘れて一気に読んだ。文四郎が、養父の亡骸を積んだ大八車を引いて帰る場面では、涙が止まらなかった。淡々とした物語ではあるが、きらきらと輝いていた」と、その時の感動を振り返る。
テレビドラマ「オレゴンから愛」「親子ゲーム」や映画「オルゴール」などで、一貫して男のドラマを描き続けてきた。そんな脚本家・映画監督が、「日本人しか撮れないもの、それは時代劇ではないか」と考え始めていた時期だった。
「これは自分の映画。おこがましいかもしれないけど、僕じゃなきゃ撮れない」。その思いから、藤沢に映画化を申し出たが、いい返事は返ってこなかった。 「だが、あきらめきれなかった。読んでもらえるかどうか分からないまま、シナリオを書き始めた」。完成までに一年。そして、出来上がった台本を送って半年が過ぎたころ、人づてに、藤沢が「情熱に負けました」と映画化を承諾したことを知った。 ところが今度は、五億円以上になる資金集めがままならなかった。米国のハリウッドにまで足を運んだものの、時代劇に金を出す人はいなかった。そうするうちに、九七年一月、藤沢がこの世を去った。
「いの一番に見ていただきたかった」。無念さと同時に、なんとしても映画を完成させなければという思いが強まった。 藤沢の承諾から十年がたった二〇〇三年。まるで、土の中で長い時を過ごしたセミのように、黒土と「蝉しぐれ」にわかに動き始める。夏に、黒土が「全七回なので、原作に忠実に脚本化できた」というNHK金曜時代劇「蝉しぐれ」が放送され、評判になった。
映画化の「GOサイン」が出て、文四郎役が市川染五郎、ふく役が木村佳乃と決まり、秋には、京都で風景の撮影も始まった。 また先月末には、山形県羽黒町に約一万坪の巨大なオープンセットが、地元の篤志家の善意で完成。文四郎が暮らす普請組屋敷などが再現された。ロケは来春。そこには、「一冬を越し、風雪にさらされた街並みを撮りたかった」というこだわりもうかがえる。
「丁寧」に作りたい。僕がほれ込んだ藤沢さんの世界、感動した日本人の美しさを、世の中に届けたい」。穏やかな語り口ながら、熱い思いが伝わってきた。
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藤沢周平の傑作「蝉しぐれ」の映画化が決まった。十四年越しの願いがかない、この秋、いよいよ撮影に入った黒土三男監督に、映画にかける思いを聞いた。
田中 誠
「蝉しぐれ」(文春文庫)は、海坂藩の下級武士、牧文四郎と幼なじみのふくとの淡い恋を、権力争いに巻き込まれた養父の切腹などの出来事を交えながら描いた長編時代小説。 黒土がこの作品に出合ったのは一九九〇年。「寝るのを忘れて一気に読んだ。文四郎が、養父の亡骸を積んだ大八車を引いて帰る場面では、涙が止まらなかった。淡々とした物語ではあるが、きらきらと輝いていた」と、その時の感動を振り返る。
テレビドラマ「オレゴンから愛」「親子ゲーム」や映画「オルゴール」などで、一貫して男のドラマを描き続けてきた。そんな脚本家・映画監督が、「日本人しか撮れないもの、それは時代劇ではないか」と考え始めていた時期だった。
「これは自分の映画。おこがましいかもしれないけど、僕じゃなきゃ撮れない」。その思いから、藤沢に映画化を申し出たが、いい返事は返ってこなかった。
「だが、あきらめきれなかった。読んでもらえるかどうか分からないまま、シナリオを書き始めた」。完成までに一年。そして、出来上がった台本を送って半年が過ぎたころ、人づてに、藤沢が「情熱に負けました」と映画化を承諾したことを知った。
ところが今度は、五億円以上になる資金集めがままならなかった。米国のハリウッドにまで足を運んだものの、時代劇に金を出す人はいなかった。そうするうちに、九七年一月、藤沢がこの世を去った。
「いの一番に見ていただきたかった」。無念さと同時に、なんとしても映画を完成させなければという思いが強まった。 藤沢の承諾から十年がたった二〇〇三年。まるで、土の中で長い時を過ごしたセミのように、黒土と「蝉しぐれ」にわかに動き始める。夏に、黒土が「全七回なので、原作に忠実に脚本化できた」というNHK金曜時代劇「蝉しぐれ」が放送され、評判になった。
映画化の「GOサイン」が出て、文四郎役が市川染五郎、ふく役が木村佳乃と決まり、秋には、京都で風景の撮影も始まった。 また先月末には、山形県羽黒町に約一万坪の巨大なオープンセットが、地元の篤志家の善意で完成。文四郎が暮らす普請組屋敷などが再現された。ロケは来春。そこには、「一冬を越し、風雪にさらされた街並みを撮りたかった」というこだわりもうかがえる。
「丁寧」に作りたい。僕がほれ込んだ藤沢さんの世界、感動した日本人の美しさを、世の中に届けたい」。穏やかな語り口ながら、熱い思いが伝わってきた。